まほろば逃避譚

ライター・北野史浩のブログ

2022年4月13日(水)雑記「戦闘妖精、家族と喜劇、ちょっとだけ日曜夜の話」

〇「戦闘妖精・雪風」シリーズ第4作、4月20日に発売

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 「戦闘妖精・雪風」シリーズの最新作『アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風』が、来週4月20日に発売されるとのこと。

 時折、神林長平さんのInstagramを覗いていたので、「SFマガジン」で連載が進んでいたことは知っていたけれど、単行本を待つことにしていました。すみません。

 

 
 
 
 
 
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 「戦闘妖精・雪風」といえば、GONZO制作でOVA化もされていて、そちらで知っている人も多いのかもしれない。主人公・深井零役を堺雅人氏、零の上官にして友人であるジェームズ・ブッカーを中田譲治氏が演じていた。そんでもって、エンディングを歌っていたのは、かのムッシュかまやつ氏。高校生の頃、同級生に借りたDVDで本編を見て、意外にも明るい曲調のエンディングに驚いたな。

 

www.jvcmusic.co.jp

 

 いい曲。サブスクにもあるみたい。

 

 私自身は、高校生の頃、文庫化された原作を夢中になって読んでいた。しかしながら、その魅力を人に伝えようとすると、いささか難しい。ただ、「雪風」を読んでいると、螺旋を描きながら自分の内側に沈んでいくような感覚になったことだけは強く印象に残っていて、物語の筋が云々ではなく、そんな独特の感覚をこそ好んでいた気もする。

 

 楽しみだな。しっかり腰を据えて読みたい。

 

 

 

〇TVアニメ『SPY×FAMILY』第1話とエンディング曲「喜劇」について

 TVアニメ『SPY×FAMILY』の第1話が、4月9日から順次放送されている。恥ずかしながら原作は未読だったけれど、エンタメ感にあふれた素敵な予告映像を見てからというもの、TVアニメの放映を「わくわくっ!!」しながら待っておりました。

 

youtu.be

 

 そんな調子で見始めた第1話。まだ主要な人物が出揃っていないものの、アーニャの一挙手一投足に心をくすぐられたり、ロイドの「かっこいい嘘つき」っぷりに目頭が熱くなったり……愉快な家族の始まりを見られた、丁寧な初回だったように思います。

 

 とりわけ、アーニャ役・種﨑敦美さんのお芝居には感動しきりだった。背景には国家間の争いがあり、登場人物にも重い過去があるけれど、全体的にコミカルな作風にまとまっている本作。もちろん、原作からして、そういうバランスで成り立っている作品なのだろう。ただ、アニメで初めて『SPY×FAMILY』に触れた私にとっては、どこか楽しげで柔らかい雰囲気を演出するうえで、種﨑さんのお芝居が担う役割は大きいのではないかと感じられたのでした。

 

 そうそう、他にも面白いと思ったのは、登場人物のダイアローグとモノローグとが流れるように展開されていく場面だ。モノローグ自体はあらゆる創作物で使われるけれど、本作では他者の心を読めるアーニャの視点を介することで、その割合が普通の会話劇よりも多くなる。しかも、人物同士の対話の中に滑らかにモノローグが差し込まれる。そして、それをフィクションとして自然に受け取ることができる、というのが面白い。

 

 収録がどのように行われているのかも気になるところで、「これって、モノローグの部分は別録りなのか?」なんてことも考えてしまう。インタビュー記事や、Spotifyで配信しているポッドキャストなどで、その辺りの事情も知れるのかしら。ちょっと気になる。

 

 もう一つ触れておきたいのは、第1話でも流れていたエンディング曲、星野源さんの「喜劇」のこと。

 

www.hoshinogen.com

 

 先日、配信リリースされてから、繰り返し聴いている。血の繋がりを重んじる家族観ではなく、孤独を抱えた者同士で築いた「居場所」としての家族というもの。そこにある幸福が少しでも続いていくことを願う。こうした家族観は、2017年に発表された「Family Song」にも表れていたものだと思う。

 

youtu.be

 

 今回の「喜劇」は『SPY×FAMILY』のエンディングテーマとして制作されたものだから、曲のテーマが作品の内容と合致しているのは、当たり前といえば当たり前のことかもしれない。

 

 でも、それが取ってつけたようなもの、付け焼刃で用意したものであるようには感じられない。星野さんが自然に感じていることが、作品の内容にも合致したからこそ、この曲が生まれているんじゃないかと感じられる。

 

 4月12日(火)深夜の「オールナイトニッポン」では、そんな新曲「喜劇」について話しているようなので、追ってそちらも確認しておきたいところだ。

 

 

 

 さて、本当は、声優・小松未可子さんの新しいラジオ番組「小松未可子のSunday Share Night」についても触れておきたかったのだけど、今日のところは時間切れ。ただ一言、この番組を毎週日曜日の終わりに聴けるというのは、とても素敵なことだなと感じているということだけ。

 

www.joqr.co.jp

 

 そんな話は、またいずれ。

私と尺貫法と吉川晃司

 先日、なかなか寝付けないので、『角川必携国語辞典』(角川学芸出版、1995年)をパラパラと読んでいたところ、尺貫法とメートル法の換算表を見つけた。尺貫法(しゃっかんほう)とは、かつて日本で使われていた、ものの長さや重さを「尺」「貫」といった単位をもとに計測する方法のこと。前掲の『角川必携国語辞典』によれば、尺貫法は1959年に廃止され、以降はメートル法が採用されるようになったという。メートル法は、言わずもがな、「メートル」や「グラム」で計測する方法で、今現在、私たちが使っているものだ。

 

 尺貫法で長さを表した描写は明治文学や時代小説などでよく出てくる印象があるのだが、私はメートル法への換算方法がいまだにちゃんと覚えられない。例えば、「1尺ほどの短刀」という表現があったとしたら、「1尺=10寸」かつ「1寸=約3.03cm」なので、おおよそ30cmほどの短刀ということになる。しかし、咄嗟に「1尺=約30.3cm」もしくは「1寸=約3.03cm」が思い出せないので、どのくらいの長さの刀なのか、うまく思い描くことができない。普段からそういう表現に馴染んでいれば、自然と覚えられるのかもしれないけれど、日常生活で使うことのないものは、やはり記憶に留めにくい。尺貫法の表現と出くわすたびに、辞書を引いて確認するが、しばらく経つとまた忘れて、そのたびに辞書を引いている。

 

 そんなことを考えつつ換算表を見ていくと、「1間=約1.82m」と書かれているのが目に留まる。そういえば、これだけは覚えていた。吉川晃司のおかげだ。

 

 中学生の頃の私は、『仮面ライダーW』をきっかけに、吉川晃司にハマっていた。吉川は主人公の師匠・鳴海荘吉=仮面ライダースカル役で出演していて、劇中では白のスーツとソフト帽を身にまとい、華麗なアクションも披露していた。その姿がやけに格好よく見えて、憧れていたんだと思う。図書館やレンタルビデオ屋でCDを借りてきて彼の曲をあれこれ聴いたり、彼の出演しているテレビ番組をチェックしたりと、しばらく追いかけていた。

 

 同じ頃、明治期の小説を読んでいて、1間がおよそ182cmに当たることを知った私は、「あ、吉川晃司だ」と思った。そう、公表されているプロフィール上、彼の身長は182cmである。吉川の高身長にも憧れていたからか、私は彼の身長まで記憶していた。そうして、それら二つの情報を結び合わせた結果、「1間=吉川晃司の身長=182cm」という式が出来上がる。

 

 事程左様に、情報は何かと結びつけることで記憶に定着しやすくなるものだ。意味のない数字の並びでも、何か意味を与えることで、より覚えやすくなる。語呂合わせなんかは、その典型だろう。「鳴くよ(794)、ウグイス、平安京」というのも、「794」という、それ自体には意味のない数字に、「ウグイスが鳴く」という意味を与えることで年号を覚えやすくしている。語呂合わせなんて下らないという向きもあるだろうが、なんだかんだ言っても覚えやすくなるのは確かだ。

 

 私は「1間=吉川晃司の身長=182cm」という形で、それを実践していたわけで、10年ほど経った今でも、「○間」という表現を見るだけで、まず吉川晃司のことが頭に浮かぶ。彼の身長を忘れていたら何の意味もないが、なかなかどうして、いまだに吉川晃司の身長が182cmであることを覚えているし、そのおかげで、「1間=約182cm」だとわかる。

 

 あとは「1間=6尺」であることさえ記憶しておけば、1間=吉川晃司の身長=182cm=6尺だから、182cmを6で割って……1尺は約30.3cm。また、1尺=10寸だから、1寸は3.03cm……と、1寸をメートル法で置き換えられるはずなのだ。いちいち面倒なことではあるけれど、ただ「1寸=約3.03cm」とだけ覚えるよりも、確実な方法なのではないか。とはいったものの、「1間=6尺」を、これまたいちいち忘れそうな気もするなぁ……。

 

 ……などと、夜中に考えていた。いや、もう外は明るくなっていた。暇を持て余しているみたいで恥ずかしい。こうなったら、この時間を無駄にすることのないよう、次に尺貫法で長さを表す文章に出会ったら、まずは吉川晃司を思い出すことから始めて、確実に「1寸=約3.03cm」へと辿り着いて、存分にその長さを思い浮かべてやろうと思う。こんな文章を書いてしまったせいか、当分は「1寸=約3.03cm」を忘れない気もするが、とにもかくにも、まずは吉川晃司を思い出すぞ。待っていろ、尺貫法!

年末

 唐突にブログを再開する。

 

 池袋の文庫ボックス大地屋書店を訪れる。立教大学に程近い場所にある、文庫本専門の書店だ。著者名の五十音順で本を陳列しているため、目当てのものが探しやすい。痒い所に手が届く品揃えには、行くたびにわくわくさせられる。今回は、大きな書店で見つけられなかった、江藤淳の『成熟と喪失―“母”の崩壊―』(講談社文芸文庫)を買っていく。

 

 ここのところ、書きものに取り組んでいるうちに、つい夜更かしをしてしまう。書いては消して、書いては消して……。一向に進まない。冬場に座って机に向かい続けていると、足元から身体が冷えて体調を崩しやすいし、頭のはたらきも鈍ってくるような気がする。

 散歩をする。運動をする。ゆっくり湯に浸かって寝る。そういった習慣を、冬場は特に欠かさぬように。

 

 そうこうしているうちに年の瀬に。この調子だと、何の区切りも付けられないまま年を越してしまいそうだ。いや、毎年そうだったか。まだ一年を振り返るには早い。あと一日、やれるだけのことはやっておこう。